あんがーの樹

環境系大学院修了⇨法人営業⇨青年海外協力隊。平成元年生のアラサーが綴る。

北海道×バイク×ヒマ=ロングツーリングの夢へ

なんやかんやと紆余曲折を経まして、僕は心の故郷に帰ってきました。

偶然にも2年前に働いていた職場と同じ場所で、この夏の2,3か月を過ごす予定です。

このご時世なので言っときますが、お仕事です(笑)


電話しながら叫んでるおっちゃんとか、ミニスカートはいたおじいちゃんとか、大量の荷物をリヤカーに乗せてるおばあちゃんとか、2年前から町で見かけてた個人的名物キャラの皆様も健在で、ちょっと安心するのでした。

「あれ?おまえ、林業どうしたん?」という声もあるかもしれませんが、林業の地域おこし協力隊は住む場所が見つからないという事案のため、秋まで延期となりました。


秋からは岡山の山奥に移住予定。


今の仕事はクッソ忙しいですが、7月くらいに終わるはずなので、8月はひょっとしてヒマかも?

一か月くらい北海道でフリースタイルライフできるかも?なんてワクワクしております。


そして、、、、今回の本題へ。。。

警告:本州の人間は北海道の中古バイクを見てはいけない

北海道といえば大自然です。

サラリーマンの時、5日間で北海道を半周するという鬼スケジュールの出張に赴き、レンタカーを延々と運転しながら「こんな道をバイクで走ったら、めっちゃ気持ちいだろうな~」って思っていたんです。免許なかったけど。

そして昨年9月に免許を取り、期せずして北海道に移住することになった、と。

着任日がGWの直前だったため、着いたらすぐにレンタルバイクを借りて走ろう!と予約もしていたのですが、GWの北海道はまだ寒い。。。

しかもGWは大寒波の予報で、場合によっては雪降るかもと言われており、バイクショップ側からのススメでレンタルをキャンセルしました。

「乗れないなら見るだけでも。。。」という気持ちでレッドバロンに向かったわけです。。。

北海道の中古バイクがめちゃくちゃきれいな理由

バイクに乗らない人でもわかるくらい、日本のツーリングの聖地と言えば北海道です。

でもそれは道外の人間が思うこと。

冬が長いせいで半年以上バイクに乗れない北海道では、バイク人口はそれほど多くありません(といっても全国10位というデータも・・・)

しかし、バイクに乗る期間が少ないということは、それだけ車体の劣化も少なく、雪に埋もれないようにガレージで補完するので、中古バイクがめちゃくちゃきれいなんです!!


名古屋でもいろんなレッドバロンで中古バイクを見ていましたが、比ではないです。

バイクって20年前のモノとか普通に売ってるんですが、本州ではたいていどこかが錆びたり劣化してるのに、北海道のバイクはマジでピカピカ。


ホントにもう、食べ物はうまいし景色はきれいだし人は優しいし家賃は安いし美人は多いしバイクまできれいとか魅力がチート級です。なぜ日本の首都じゃないのかわかりません。

コロナでバイク売れまくり、特にアメリカン不足は深刻

けっきょく2日で札幌近郊のレッドバロンを回ったのですが、気づいたことは、どこのショップにもアメリカンが少ない。

僕はアメリカンのフォルムが好きで、いろんなところで股がらせてもらっては決心できずに帰るという、スーパー冷やかし野郎だったのですが、札幌の各ショップではどう考えてもアメリカンの在庫が少ないのです。

現行車種が少ないというのもあるんですが、スポーツタイプとかオフロードがこんなにあるのになぜアメリカンは3台とかしかないんだろう??



「アメリカン人気なんで、三日も店頭に並んだら売れちゃうんですよ」と店員さん。


なんでもバイク初心者が最初に憧れるのがアメリカン。そして北海道の風景を楽しむバイクがアメリカン

コロナで暇だった大学生が、秋に免許を取り、いよいよ走り出すでぇ!とバイクを買うのがGW。

コロナ禍でバイク人気が上昇したのは北海道も同じのようで、今年は中古バイクの売れ行きが異常事態だそうです。


「1台買い取ったら5台売れていく状態。今いいと思ったバイクが10分後にあるかどうかもわからない」という、(思えばなんとも)ベタな営業トークを聞いた瞬間、僕の脳裏に1台のバイクがよぎりました。

そして、是非を考える間もなく1件目に訪れたレッドバロン環状北大店へと、足が向いたのです。

31歳、衝動買いでバイクを買う

駅からお店までの記憶はあまりないのですが、半ば駆け足で店内に突入し、前日対応してくれた店員さんに「あのバイクありますか!?」と聞きました。

「ありますよw」と笑う店員さん。

「跨らせてください」という僕の目は、完全にイっていたと思います。。。








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スティード400 VSE

買いました。


僕が購入したのはその昔、国産アメリカンの火付け役となったHONDAスティード400VSE
何のことかわからない、という人は、その辺の中年男性に聞いてみてください。97%の中年男性が知っている超有名バイクです(オレ調べ)。

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1996年製と古いですが、時はバイク全盛期。現在の比ではないコストをかけて作りこまれたボディとエンジンは、その名の通り、まさに”軍馬”

ロー&ロングの力強さに、スリムでクールなタンクは時代の流行りに左右されない銘作です。(バイク初心者の意見)


これだけ古いとたいていどこかにぶつけた後とかあろう、と見てみますが、タンクもマフラーもきれいで、サビすらありません。

これでほかのアメリカンよりお安い本体価格27万円!!

すぐに見積もりを取ってもらい、オプションもりもりついて34万円。(地元のレッドバロンでエントリーした免許応援キャンペーン適用)

そのまま契約のサインをしてきました。


やっぱねぇ、こういうところは三河(名古屋)人なんですよ。

普段はケチでも趣味と見栄にはカネをかける。結婚には向かないなぁwww(苦笑)

31歳、急な出費で体調を崩す。

高額な衝動買いの反動はすさまじく、維持費を考えると生活していけるのか不安になるレベルでした。

5月には岡山移住の予定だったので、知り合いから車を譲っていただいたこともあり、車とバイクの保険料だけで年間16万⁉(この試算はのちに間違いだと気づく)

レッドバロンから出たときは「どうしよう、どうしよう…」しか思い浮かばず、完全なショック状態に。

実をいうと、その日は夜まで吐き気がおさまりませんでした。。。。

止まらぬ妄想… 果て無き物欲に身をゆだね、フリマサイトで大暴れ

でもね、やっぱり好きなものを手に入れる快感って素晴らしい。

家に帰ってYouTubeを開くと、そこには僕を祝福するかのようにたくさんのバイク動画が!!

大好きな北海道でバイクに乗れる… オロロンラインを独り占めできる…

なんて思ったらもうニヤニヤが止まりませんでした。



いやいや、バイクがあれば楽しめるってものでもない。

今の仕事が終わって次の活動が始まる1か月。

この一か月をめちゃめちゃ濃い人生の1ページにするには、北海道グルっと回るくらいのことやっとかなきゃもったいないやん??

  • ずっとホテルなんて無理だから、キャンプするやん? 

 ⇒ キャンプ用品本格購入決定

  • 今持ってるソロキャンテントじゃ、ツーリングの荷物はいらんやん?

 ⇒ 大きいテントに買い替え決定

  • ってかバイクに荷物積むにはキャリアいるやん?

 ⇒ シートバッグ購入&RVボックスDIY決定

  • せっかくならきれいな写真撮りたいやん?星撮りたいやん?

 ⇒ 単焦点広角レンズ購入決定

  • ワーキングブーツでクラッチ操作するの、傷つくから嫌だなぁ

 ⇒ シーソーペダルクラッチカスタム希望


こんな感じで次々とリスト化されていく物欲の星たち。


その日からメルカリやらPayPayフリマやらを覗き、ちょうどいい出品がないか目を皿のようにして探す日々。

仕事から帰ると、ちょうどよく?脳がオーバーヒートしてるので、あまり価格を確認せずにポチポチと購入ボタンを押しています。


おかげで僕の部屋にはバイク道具とキャンプツールがどんどん増えています(バイクまだないのに。。。)


この先、生きていけるのかはよくわかりませんが、次回は僕が購入した品々をちょっとご紹介できたらな、と思います(笑)

帰国後の出来事、出会い、暗黒期、今後やりたいことと今やるべきこと

ん~~、最近人生にお悩み中のアガーです。

いえ、あんがーです。

ほら、自分の名前も打てないくらいフラついております(見直してよかった)

さてさて、このおよそ一年間、我々青年海外協力隊待機隊員たちは、先の見えないコロナ禍をジッと耐えつつ再赴任を待っていたわけですが、最近になってこの先のことがはっきりしてきた部分もあり、ちょっと頭の整理が必要になってきました。

帰国してから今までのことを書きながら、頭をクリアにしよう。

かなり長いですが、お付き合いいただけたら嬉しいです。7,000字くらい。。。

【3~5月】帰国後に考えていたこと。

2020年3月21日、パラオ隊員はコロナの影響により、緊急一時帰国となりました。

このころ、南の島で揺れるココナッツを見過ぎていた僕の脳みそは完全にお花畑であり、事の重大さには全く気付いておりませんでした。

成田空港についたとき、子連れのお母さんが

「何にも触らないで!しゃべらないで!黙ってついてきて!」

と子供に言い聞かせているのを見ながら、「あ~ぁ、またこの幸福度の低い国に来てしまったよ」みたいなことを思った記憶があります。

この時、JICAはもちろん日本中のだれもがこの先どうなるかなんてことは知る由もなかったと思います。

出国前にチラッと聞いた、「今回の一時帰国は1か月半程度を想定している」という一言を信じるでもなく頭に留め置きながら、

僕は長い長い自粛生活に身を置くのでした。

それほどツラくなかった自己隔離期間

協力隊員は帰国後、全員が2週間の自己隔離期間を義務付けられていました。

「帰国した協力隊員が地元にコロナを持ってきた」なんて言われたら大変ですからね。

国別で待機の場所は異なり、この国の隊員はJICA施設、ある国の隊員はこのホテル、みたいな感じで振り分けられ、その間はほんとに一切外界との接点を持てない、苦痛の時間だったそうです(某隊員談)


しかし、大洋州のパラオはというと、コロナが一例も報告されていなかったからか、自宅隔離とされ、空港からそのまま帰宅。


正直な話、自宅隔離は全く苦しくなかったです。久しぶりの家族、久しぶりの愛犬、美味しいごはん、そして時差なく話ができる同期隊員とのやり取り。


社会から取り残されている不安、みたいなものも無きにしも非ずでしたが、なにせ数か月で帰任すると思っていますから、気楽なもんでした。

(先が見えなくて不安ですよ~~という話もしましたが、半分本気、半分空気読んで、みたいな感じでした)


そして緊急事態宣言


社会の混乱をテレビを通して知りながら、どこか対岸の火事のような感覚。

ただ、どのチャンネルもコロナで感情を刺激するようなニュースばかりでさすがにテレビをつけるのがしんどくなりました。


アマゾンプライムを再契約し、安全で刺激的な非現実世界へと逃避することになりました。

自己隔離期間の終了と、その後描いた未来

はじめのころ自分は、自己隔離の2週間が過ぎると事態が好転する、というナゾの予想を立てていました。

別にコロナが収束するとかではなく、なんとなくその先が見えるというか、気が楽になるみたいな。

何かしら状況が変化すると思っていたんです。



でも、二週間が過ぎても何も変わりませんでした(当たり前ですがww)。


働きに行く両親を送り出し、アマゾンプライムとPUBG(オンラインゲーム)に潜り込む日々。


このままじゃいかんな~というわけで、

  • 今しかできない
  • この先役に立ちそうなスキル

を身に着けようと思い立ち、ウェブ制作の勉強を始めました。

始めはドットインストールとかProgateとか、無料や低価格でできる自主学習を始めたのですが、

なにせ、自己管理が苦手な性格。


こどもチャレンジさながらのスピードで勉強しなくなり、勉強しない自分が嫌になるという、負の連鎖に陥ります。


やっぱり自分はなにかストレスがないと勉強できないな、ということで、

有料のオンラインスクールTech Academyに申し込み、しっかり勉強しようということになりました。

この先お金を稼げそうで、自分でも楽しめそうなスキル、とういことでHTML&CSSとWordpressの2コースを受講しました。

早割りを使っても総額27万。。。


決して安い買い物ではなかったけど、僕は夢を見ることでモチベーションを保つことにしたんです。


フリーランスになる、と。



まぁいきなり独立は無理だけど、このまま協力隊に戻れなければ、WEB制作会社で数年間修行を積み、ウェブ制作でノマドなフリーランス。

パソコン一台で稼ぎ、好きな場所で仕事をし、好きな人と好きなことろで遊ぶ。

人生を自分のモノにする。。。。


はい、ここまで読んだフリーランスの方は画面をブッ壊したくなるくらいイラっとされたかと思いますw

そんなに甘いもんじゃありませんよねw

すみません。でもその頃のモチベーションはそうだったのです。


まぁもともとそういう気持ちで副業していたこともあり、いまでもノマド欲求は少なからず持っておりますが、、、

【6月~8月】北海道で仕事&ウェブ制作の勉強

今回、早割を利用したので、TechAcademyでの勉強は1か月後となりました。

それまでProgateで自主勉強、と思っていたのですが、社会人時代の先輩に声をかけていただき、北海道でお仕事ができることになりました!

いやもうマジで大好きな北海道に住んで仕事ができるなんて夢のようだ、ということで決定から3日という強行スケジュールで北海道に移動


仕事の内容は詳しく書けませんが、一重に最高の環境で働くことができました。

真剣に取り組む時間と腹がよじれるほど笑う時間が両立する夢のような職場。

職場に憧れのフリーランスの方々もいたのでいろいろ話を聞かせていただき、自分の甘ちゃんさに気づけたのもいい勉強でしたw

でも、やっぱかっこいいなぁ~という憧れは募り、ウェブ制作へのモチベーションは保つことができました。


関係者の方、もしご覧になっていたら、本当にありがとうございました!またいつかお会いしたいです。


就業とほぼ同時にTechAcademyのコースも始まり、17時まで就業、18時から1時まで、休みの日は丸々一日ウェブ制作の勉強というなかなか密なスケジュール。


でも、この一年で最も充実した時間はこの北海道で過ごした2か月ちょっとだったと確信しています。


楽しかったな~~~

【8月~11月】帰省。名古屋の古巣で出会い。そしてメンタル崩壊

8月の中頃に名古屋に戻り、JICAのイベントなどをやりつつ、出身大学の森林系研究室で技術補佐として働き始めました。

研究時代は訳あってあまり手伝えなかった調査にたくさん連れて行っていただき、森の中で働きながら楽しく過ごしていました。

そして、教授に誘われて参加したセミナーで衝撃の出会いがありました。


森林の回復と広葉樹活用の重要性について講義をしてくれたのは東北大学の清和教授。

生物多様性はもちろん、森林の活用方法について多くの書籍を出されている、森林活用研究の第一人者です。


実は大学時代から、日本の林業問題に興味があり、広葉樹を活用した林業が盛んになれば、森林の生物多様性は必然的に改善するという考え方に共感し、何か行動しなきゃ!という使命感に駆られるようになりました。

(このあたりからウェブ制作の影は薄れ始める。。。)

北海道の団体にインターン失敗、そして自身最大の暗黒面へ

広葉樹活用をしたい!とはいえ林業のリの字も知らないド素人。

どこかの団体や企業でインターンをしよう!ということで調べると、北海道の下川町で広葉樹活用や環境教育を行っているNPO法人を見つけました。

コロナの影響でインターンは休止中でしたが、ダメもとでメールをしてみると、一度話をしようとお返事をいただくことができました。

正直、ウェブ面談というのは汗が噴き出るくらい苦手ですが、なんとか勉強させてもらえないか、とお願いするとOKとのこと。


よかった~と思ったのもつかの間、北海道内のコロナ感染が拡大し、一週間ほどして「やはり受け入れは難しい」ということになってしまいました。


11月の終わり。この月で大学での技術補佐が終了。

既定で3か月以上の就業ができず、12月にやることが皆無という状況。


人生で感じたことの無い焦り、不安、相談もできず、このままやることがなくなるという事実にどうしようもない恐怖を感じました。

一週間くらい耐えていましたが、四六時中動悸が止まない、眠れない、テレビが点くと苦しくなる、家族とも話せないなど、

どう考えてもおかしい事態になり、知り合いの健康相談員に相談しました。

大学の仕事終わりで駅に向かう道すがら、軽い気持ちで電話に出たのですが、思いもよらない感情が爆発。

まさか30超えて鼻水垂らしながら泣くとは思ってもおりませんでした。おどろき桃の木サンショの木。

そして人生で初めて、メンタルクリニックの門をたたくことに。。。
(結果メンタルは問題なしとなりました。理由は後述。)

あ、そういえばこれJICAに報告してないなw

まぁ、気のせいだったのでいいかww

【12月~現在】藁をもすがる思いで行った林業研修での出会い。

北海道でのインターンがダメになった直後から、林業に触れる機会を探し始め、厚労省の委託事業である林業就業支援講習を知りました。

林業に興味がある人、自然の中で働きたい人、是非一度行ってみてほしい講習です。

広葉樹林業で有名な開催地が2か所あったのですが、一か所は開催日間近、もう一つは岩手県で、非常にアクセスも日取りも悪く断念。

ちょうどいい日程の開催地が岡山県の西粟倉村でした。


調べてみると、西粟倉は小径木の活用で先進的な取り組みをしているとのこと。

僕のやりたかった広葉樹林業では、小径木(小さな木)をお金にすることが重要になるため、勉強したいと思い、参加を希望しました。

林業講習の様子は別記事にしているので見てください。

www.pokokangar.com
www.pokokangar.com
www.pokokangar.com

この中で、西粟倉での地域おこし協力隊制度を知り、この西粟倉林業の一端を担いたい!というモチベーションが高まりました。


12月の初め、メンタルクリニックを受診した数日後のことでした。

この出会いで僕の気分は急激に前向きになり、その後のクリニックで受けたメンタルテストでは異常なし、ということになりました。
(西粟倉行ってなかったらどうなってたんだろうねw)

今後の生き方と今やっていること

そんなこんなで年明けには本調子に戻った私ですが、今後の予定と今やっていることに差があって、ちょっと整理をしたくなったのです。
(なんと!4,500字書いてやっと本題!!)


まず、青年海外協力隊ですが、ぶっちゃけ再赴任の可能性はほぼ無いと思っています。

パラオは今も感染者ゼロですが、医療体制やフライト、政策を考えると、協力隊としての待機期限内に状況が好転するとは思えません。

もうほぼ暗黙の了解レベルなので、僕の今後の予定を、発pppppっ表いたします!!!!





はい、前述の通り、西粟倉村での地域おこし協力隊に行く予定です。というか、希望しています。

まだ決定ではない、というのが若干不安ですが、一応5月を目標に調整いただいています。

(関係者様、ご覧いただいておりましたら、お手数おかけしてすみません。本当にありがとうございます。)

もちろん、今もJICA海外協力隊として活動の機会があれば全力で参加するのですが、今後は地域おこし協力隊としての活動を念頭に置いて生きています。

ただ、活動開始は今のところ早くて5月。。。


だいぶ時間が空いている。。。。


この時間を僕か何に充てているかというと、、、、

WEB制作の学習なのです。(久々登場!!)


当初描いていた、

WEB制作会社に就職

数年修行

スーパー売れっ子ハイパーノマドフリーランスクリエイターやっふぅぅぅうううううううういいいいいいいい


という未来とは違いますが、僕は僕の興味とやりがいで日本の社会問題に取り組む所存でございますみたいなカッコウをつけておくとかなんとか。。。

でも、ウェブ制作スキルって、なにか役に立つんじゃないかと思うし、なにより30万つぎ込んだ学習内容を勘違いだったわ~で終わらせたくないというもはや執念でございます。。。


林業の勉強しろよ!!というご意見はごもっともですが、ずっと本を読んどるわけにもいかんのですよ。

手を動かしてないと行かんのです。

林業の仕事なんて近所にあるわけでもないし、、、


少し前は「すぐに案件取って、稼ぐぞぉぉお!」と思っていましたが、こちらの方のツイートを見て「しっかり勉強するのが先や」と思い直しました。



でもたまに「こんなん意味あるの?」とか、「無駄じゃね?」みたいな悪魔のささやきが聞こえるんですよね。


他の人たちのスゴいデザインとかコーディングみて萎えてしまったり。


そりゃね、草野球始めたばかりの人間がプロ野球選手の試合みて比較してるようなもんですから、そもそも相手を間違えているんだけどね。

でも今自分ができることってこういうことかなと。


アルバイトしようかと思ったけど、そういうのって今じゃなくてもできる気がするのです。別に食うに困るほどカネがないわけじゃないし。

いやぁ、言い訳かなぁ。。。



でも、普通とは違う時間の使い方をしたいんよな。

なんか、とても貴重な今の時間をどう過ごすのか、というのに悩んでしまうことがあるのですよ。


他の選択肢を探しつつも、今見えていることをしっかりやる。

サイト作成も、すごいことができる!というよりは楽しめるようになるまで頑張ろう。


趣味の多い人生は豊かだ。

サイト作成も趣味にする。


きっと林業に関わり始めたら、サイト作成を学ぶ時間なんてなくなる。


今しか好きになるチャンスはないのだ。

自伐型林業を見学。HIPHOPが息づく伝統の智頭林業

林業就業支援講習@西粟倉3日目のレポートです。

前日は西粟倉村内での事業体による林業を見学しました。

この日はお隣の智頭町へ移動し、自伐型林業を見学します。

自伐型林業とは、自分の所有してる山や山主から預かった山を丁寧に手入れをしていく小規模な林業のこと。

あまり皆伐をせず、間伐を繰り返しながら木をゆっくりと大きくしていきます。

大きな重機を使わないので作業道も細く済み、山への負担が少ないことから自然に優しい持続的な林業として注目を集めています。

補助金漬けといわれる林業ですが、自伐型であれば補助金から卒業し、十分な利益を出して自立しているケースも。


一方で、個人や小規模人数での林業となることから、林業向きの山を所有していなかったり、山主さんの信頼を得て管理を任せてもらわないとスタートできません。

広大な日本の人工林をすべて自伐型林業で施業することは非現実的だと思う。やる人がいないんでねw


西粟倉のお隣、鳥取県の智頭町では古くから林業が盛んで、先祖代々林業のために手入れされながら引き継がれた山が多くあります。

今回お邪魔させていただいた大谷さんの山も非常に美しかったです。

HIPHOPの血が流れる自伐林業家

朝午前9時半。西粟倉から車で40分ほどの智頭町に移動しました。

今回ご案内いただいた大谷さんは、なかなか異色な経歴の持ち主。

智頭生まれの智頭育ちですが、HIPHOP好きが高じて渡米。本場アメリカでラップをやるなど、ディープなHIPHOPの世界を経験してきたそうです。

HIPHOPと林業、、、

これまで結びついたことの無い文化が僕の中で奇妙に混ざり合っていくのを感じました。

アメリカでの生活を通して、自分は日本人なんだという意識をより強く持ったという大谷さん。帰国して自営することを選んだそうです。

そして選んだのが自伐型林業

先祖代々受け継がれた山を自らの手で管理する道を選びました。

代々受け継がれた美しい森

地元の有志、智頭ノ森ノ学ビ舎が管理するTAMARIBAにてイントロダクションを受けた後、早速大谷さんの施業する山を見せていただきました。

そこはとても明るい森で、適度に間隔のあいた太く、まっすぐなスギ、ヒノキがずらりと立っていました。

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下層植生も豊富で、林内が明るい

地面には多くの植物が生育しており、鳥の声も聞こえます。

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枝打ちもきれいにされていて、鳥の声が聞こえます

代々丁寧に手入れされたからこそできた美しい林業地。

西粟倉の山と比べると、比較的斜面がなだらかで施業がしやすそうだなと感じます。


ここは大谷さんのお父さんの誕生祝にお爺さんが植林をした場所。大切にされるわけですね。

この木々の中から比較的成長の劣る木を選んで伐出、販売します。

事業体の林業とは異なり、伐出量が少なく、大きな重機もいらないため、林道は細く山に優しい道幅でした。

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木材を運び出す機械。かなり年期入ってるけど十分使えるそう。(顔出し許可を失念しました…)

素材を生かしたGive&Takeで作る地域の絆

山を見たあとは、切り出した材を余すことなく使う工夫を見せていただきました。

やはり林業はいかに無駄をなくすか、が非常に大きなポイントになるようです。どの仕事もそうなんですけど。。。

大谷さん(首にかけたヘッドホンからHIPHOPが流れている)についていくと、そこには大量の切り株みたいな材が。

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積み上げられたタンコロ。市場には出せないが立派な商品になる

これはタンコロといって、切り出した材を丸太にしたあと、余ってしまった部分。

市場には出せない材ですが、これを乾燥させ薪にして「智頭ノ森ノタンコロ薪」と名付け、販売しています(そのまんまですねw)

このタンコロ薪を地元のパン屋さんやゲストハウスにも持っていき、いただいたお金でそのまま飲食をして帰ってくるんだそう(笑)

時には物々交換のような形になることもあるそうですが、智頭の木を通じて地域のつながりができることは素晴らしいなと感じました。

林産物のキャッシュポイントをたくさん作る

適切に管理された山にはスギやヒノキ以外の植物もたくさん生えています。

そのような木材以外の資源を林野副産物と言います。

大谷さんのご紹介では、山に生えているヒサカキを収穫して販売したり、コウヤマキという樹木の剪定を行い、そこで出た葉を仏花用として販売したりと、キャッシュポイントを柔軟に作り出しているという印象を受けました。

ちなみに、コウヤマキが仏花として重宝されることを知っていたのは、大谷さんのもとで働く社員だったとのこと。長年の趣味である生け花の知識が役に立ったそうです。

まさに人財ですね。

暮らすを楽しむということ

最後に、大谷さんのおうちの裏庭に趣味の詰め込んだスペースがあるとのことで見せていただきました。

こちらは、製材機。

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大きな製材機。丸太を自在にカットできる。

専門で製材をすることはないものの、自分たちでいろいろ工夫してモノづくりを楽しみ、時には意外な値が付く商品になることも。

この大きなガレージや、センスの詰まった休憩室など、すべて大谷さんとその社員数人で作ったとのこと。

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大谷さんたちが作った丸太置き場、石垣も自分でくみ上げた。

家から離れた場所にあるので、仲間たちと深夜まで盛り上がれるというのも、男のロマンを感じますね。


「これから何をしようか、どうやっていこうかを手探りで考えられるのもこの仕事の醍醐味」と語る大谷さん。

影響されやすい性格の僕は、「うわ~やっぱ自営業っていいなぁ」なんて思っちゃうのでした(笑)

林業の常識を覆す、新しい西粟倉流木材流通を作る森の学校

山から出された木材は通常、原木市場という市場に運ばれ、値をつけられ、売れていきます。


しかし、これまで西粟倉には原木市場がなく、鳥取県の市場まで持っていかなければなりませんでした。

西粟倉で採れた木材を使うためには、鳥取県までいかないと買えないという状況。

西粟倉の木を使って商売をしようとすると、鳥取県まで持っていく輸送コスト鳥取県から持ってくる輸送コスト市場の手数料などなど、あらゆるコストがかかって原木代が高くなります。


そこで西粟倉の取った作戦が、西粟倉内に木材を貯める貯木場を作り、そこで地元企業が値をつけて購入するというもの。

こうすることで素材生産(木を切る会社)にとっては原木を遠くまで持っていくコストを削減でき、製材会社にしても原木を持ってくるコストを削減できます。

何よりも西粟倉の木を使って製品を作れるので、地域ブランドを高め、ファンづくりや宣伝効率も高くなります

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西粟倉の材が集まる貯木場。ここで選別を行い、材、バイオマスなどの用途に分けられる。

この仕組みを作ったのが株式会社西粟倉 森の学校

流通部長の西岡さんから、西粟倉の木を使って地域を元気にするための工夫を教えていただきました。

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西粟倉の材で村を盛り上げるために立ち上がった、森の学校

とにかく何でも製品にする!分けることで生まれる木材の価値

西粟倉の貯木場に出てきた木材のうち、西粟倉村内で製品化される木材の多くは(株)西粟倉 森の学校(以下、森の学校)が購入しています。

劣勢間伐を主流とするため、出てくる材の多くが細く、あまり価値の高くない材。

これらを如何にして付加価値をつけ、高く売るかというのが森の学校の命題です。

西粟倉の材に合わせた製品開発を効率よくできるよう、製材機を特注で生産。購入した材はすべて板材に製材し、製品開発に力を入れています。

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特注の製材機。最低限のオペレーションで済むよう細かい工夫が。

なぜ単価の高い梁や柱材を作らないかといえば、そのような製品は他の製材所が大規模かつより上質な材を使って生産しており、そのようなレッドオーシャンで戦うことはしない、という戦略なのだそう。

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ずらりと積みあがった板材

製材時に出てきた端材はチップにし、細かく仕分けして燃料や家畜の床材などとして販売しています。

「林業は選別業。欲しい人が欲しい時に欲しい量を供給することで利益を出せる」という言葉は、非常に説得力がありました。

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端材はチップに。サイズ別に選別することで商品価値を作り出す。

西粟倉の特色を出すことにこだわった商品づくり

製材された板材は1か月ほど自然乾燥された後、乾燥機での乾燥工程へ。

森の学校では、敢えて時間のかかる中温乾燥機を使うことで木材本来の色艶や香りを残し、特色を出しています。差別化ですね。

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二台で稼働する中温乾燥機HIGUMA

板の中には「死に節」と言って、昔の枝の跡などがスポッと抜けて穴が開くようなものも混じっています。

森の学校では完成した板を短くカットすることで、節の少ない製品の数を増やし、節のある板は加工して節を埋め、再度製品にし直すとのこと。

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死に節のある材。既定の直径でくり抜いて補修します。
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補修された材。これでフローリングなどの商品にも使えます。

森の学校さんの工場では、たくさんの女性が働いていました。というか、ほとんどが女性

西粟倉で新たな雇用の創造をするには、女性の活躍が欠かせなかったそうです。節を一つずつ直したり、製品を傷めない丁寧な梱包は女性のほうが得意だったりするらしい。

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多くの女性が活躍する製材所。刃物が見えないよう、こちらも特注のマシンを導入。

森の学校の人気製品といえば、「ユカハリ・タイル」
zaimoku.me


もともとは板材として販売できないような材を製品化したもの。それを50×50に揃えてシートを張ったところ、賃貸で床をリファームしたい個人やベンチャー企業からの人気が出たそう。

すべてを商品にして、新しいニーズと巡り合う。まさにベンチャー精神だと感じました。

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自分で削って作るカトラリー。愛着がわきそうです。

まじめにふざける戦略でつかんだ話題性

森の学校さんの倉庫には、一般の人も買い物ができるHAZAI MARKETというコーナーがあります。

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素人でも見ているだけで面白い。
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奥にはDIY玄人向けコーナーもあります。

製材工場ならでは、クオリティの高い端材が破格で手に入ると、DIYファンがわざわざ工場まで来て材料を選んでいく。

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激安なのです(笑)

中間業者の多い材木業界においてエンドユーザーとの距離を縮めることは、良いものをより安く、より高利率で提供するために欠かせない企業努力だと感じました。

よく見るとキャッチ―なポップが目に入り、DIY初心者でも見ていてワクワクする工夫がされていました。



工場見学の最後は、梱包で使う段ボールの一工夫。

商品を郵送する際の段ボールには林業の川上から商品が届くまで、70年の道のりが描かれています。

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木を植え、手入れし、育てる。
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切り出し、製材し、送る
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数十年の時をかけてお客さまのもとへ。

「僕らは一本の木がお客様に届くまでにかかる数十年のうち、たった3か月しかかかわることができない。」とおっしゃった西岡さん。

その時間をお客さまに伝えるのも、森の学校の役割なんだろうな。

ストーリーのある商品が自ら営業し、BtoCtoBを実現する

木材流通に変革を起こし、西粟倉の材で特色ある商品を生み出す森の学校。

その商品には西粟倉村の想いが乗り、ストーリーを知った消費者がファンになるという仕組み。

社内には明確な営業担当という人はおらず、商品自体が営業をしてくれるとのこと。


口コミでつながった法人取引もあるそうで、BtoCをやっていたらBtoBもついてきた、というほど強い話題性がありました。

森の学校では、オンラインショップ以外にもあらゆる方法で西粟倉の木材に触れてもらう仕組みを作り、ファンを増やしてく計画があるとのこと。

「現在の木材市場は、たった5500億。僕らはここで勝負をしない。新しい市場を開拓し続ける」という西岡さんの言葉には本当に感動しました。

林業講習2日目!西粟倉林業の川上を学ぶ。林業の再生と持続性を求めて

岡山県西粟倉村で行われた林業研修の2日目をレポートします!

一日目はほぼ座学でいろいろ考えたことはあるのだけど、記事にするのは少し後回しかなww

この日はずーっと外!というわけで、ここ西粟倉で行われている林業の間伐作業と、出てきた材が製品になるまでの先進的な仕組みを勉強させていただきました。

林業の川上(木を切る)から川中(製材、製品開発)、川下(販売)の流れでご紹介しようと思います。
(川中と川下の記事は別記事にします)

百年の森を作る劣勢間伐

林業の始まりは、伐採から。

正確には植林や手入れなどもっとたくさんありますが、今回は木が出ていくところから、ということで伐採がスタートとなります。

西粟倉の広大な森を管理、施業している株式会社百森さんに案内していただきました。


西粟倉では森林組合ではなく、民間企業で構成された協同組合(百年の森協同組合)が山主さんから山の管理を預かっています。

どの山にどうやって道を入れるのか、どのくらい間伐をするのかといった施業計画を立てているのが、田畑社長率いる(株)百森。

今回はなんと、西粟倉のベンチャー第一号といわれる株式会社木薫(もっくん)の國里社長にもご同行いただき、非常に豪華なメンツでの現場見学となりました。


早速現場を見に行こう!ということで、安心と信頼のジムニーに乗り込み、現場へと向かいます。


しかし、前日に降った雨の影響で林道はぬかるみまくり(笑)

まるでジェットコースターの最初の上り坂みたいな急こう配を唸りながら駆け上がっていくジムニーww

最後の最後で傾斜30度くらいあるんちゃうかという坂を上り切れなかったものの、相当な標高の現場付近まで連れてっていただくことができました。

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越えられなかった坂にトライするジムニー(後姿は田畑社長)

そこはとある山主さんの所有する林分。所狭しと植えられた50年生の杉がまるで壁のようにそびえたっています。

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立木の量と密度に圧倒されます。

村の森林の80%近くを人工林が占める西粟倉。その管理はこれまで十分とは言えず、ひょろりと高く育った杉は、あまり価値のある木材にはならないのだそう。

薄暗い森の中は、シカの食害もあって小さな植物が少なく、弱々しい印象を受けました。

この森を安全で健康な森に変えるため、間伐などの施業をされているのが株式会社青林の皆様。

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山仕事の血管ともいえる林道。大きめの重機を使うため、広く取られています。

社長も自ら現場に出て作業をされておりました(こちらの青木社長からは、3日目にしっかりとお話を伺うことができました)

ここで西粟倉の林業戦士が3人も揃うという、後から考えるとスゴイ状況だったなと思います(笑)

これ!!

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1台3役をこなす林業重機、ハーベスタ

教科書でしか見たことの無かった林業作業車ハーベスタを見ることができました!

この機械は木の伐倒から枝打ち、玉切りまでを一度にこなすことができ、人力よりも圧倒的に素早く、安全に作業をすることができます。

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アームで木をつかんで
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一瞬で伐倒
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設定した長さで玉切り
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最後は枝払いをして終了

すべての作業合わせても2分もかかりません。

しかし、アームが届く範囲でしか仕事ができないため、急こう配でマシンが林道からの作業に限られる日本の林業では作業範囲が限られるのが難点。

林道から離れた木は、やはり人の手で切り倒す必要があります。

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人の手で丁寧に間伐された劣勢木

西粟倉で行われているのは劣勢間伐

生長の悪い木を切り出し、より良い木を残して山の価値を上げていく方法です。

森への負荷が低く、良好な生態系や森林の機能を維持できる一方、作業効率が低く、施業が難しい一面も。


本当は列状皆伐をして、架線(ワイヤーでスキーのリフトみたいに材を運ぶこと)で麓まで下したほうがどれだけ楽か。。。

大学では、環境の観点から皆伐は悪だ!と習ってきたけど、実際に施業されている方の苦労やリスク、財政を考えると皆伐も必要なことかもしれない、と感じました。(皆伐についての意見はまた改めて記事にしたいと思います)

林業ベンチャーから熱い思いを聞く

途中から降ってきた雨の影響もあり、登ってきた以上に危険な路面状況となった林道。

小さな巨人であるジムニーを巧みに操りながら、運転していただいた社長お二人。(サイドブレーキの使い方めっちゃかっこよかった)

本当にありがとうございました。今生きてブログが書けるのは、田畑社長、國里社長のおかげです。。。


事務所にもどり、貯木場の案内をしていただいたあと、お二人の社長から話を伺うことができました。

不覚にもメモを忘れ、細かいところまで記録できなかったのが本当に悔しい。。


田畑社長からは、施業計画を立てる上での難しさや注意点などを伺いました。

道のつけ方ひとつでも山主さんへの説明をしっかりできるよう、現場視察や見極めが需要であること、山主さんの要望を聞きながらも、施業する会社のキャパシティーも考えたバランスが必要なんだそう。

複数の山主さんから森を預かり、一つの施業をしているからこそ、山主のだれか一人の了解を得られないだけで十分な計画が立てられなくなる可能性もあるため、信頼と実績を積んでこそ成り立つ仕事だと感じました。

そんな田畑社長は若干34歳(でもかなり若く見える。)、僕と3つしか変わりませんでした。

もともと地域おこし協力隊でやってきて、株式会社百森を立ち上げ、何十年の歴史がある森林組合にとって代わる事業を軌道に乗せるという、その柔和な印象からは想像のつかないスーパーマンだと感じました(幼稚なコメントで恥ずかしい)


株式会社木薫の國里社長からは、創設当時から現在に至るまでの変わらぬ思いと信念を伺いました。

(株)木薫は非常に珍しい林業経営から製品販売までを一貫して行う会社です。

ヴィン・ディーゼルを思わせる強面の社長からは想像しがたいですが(失礼)、その製品には幼児保育向けの家具や設備が多く、なんとこの後、認可保育園の運営まで始めるというまさにローカルベンチャー。

企業理念は「森から子供の笑顔まで」

「自分で作ったものの価格を自分で決められない林業の構造」と変えるべく、森林組合を飛び出す形で創業された國里社長。

今では全国にファンを多く持ち、関東方面にも山の整備を頼まれていくこともあるそう。

従業員全員が林業への愛着を持ち、苦労を知ることで、自分の言葉で語れるようにと、たとえ事務員であっても林内作業の研修を取り入れるなど、アツい企業姿勢を感じることができました。




さてさて、今回は林業就業支援講習の二日目、林業の川上部分のご紹介をさせていただきました。

実はこの部分は二日目午後に行われたもの。

午前中は林業の川中から川下部分の見学をさせていただいたのですが、それはまた次回。

3Kと知っても、日本の林業に興味を持つ訳

12月から、林野庁の実施する林業就業支援講習を受講することとなりました。

来週2日から岡山の西粟倉で林業を体験してきます。将来的には就業も視野に、林業の実情、森や木に関係する人々を見てきたいと思っています。

林業体験興味ある!という方は令和4年まで予定されている事業のようなので、上のリンクからご覧ください。

お前、WEB制作だの環境教育だのコロコロやりたいこと変わるな!というツッコミもあるかと思います。わかっております、、、大いに迷走中ですw
ただ、今だからこそいろんなことに首を突っ込み自分が一番活躍できる場所を探したいんです。
タイムリミットはこの冬くらいかな??

今は林業に関する本やネットで情報を集めながら、事前学習中です。

これまで勉強してきたことを含め、「外から見た林業」という視点で少し林業のご紹介、そして僕が林業に興味を持った理由なんかを説明したいと思います。

現代に残された最後の3K産業、林業

読者の中で林業に携わっている方がいたらゴメンナサイ。

しかし、データだけでみるとこれは事実。

狭く、傾斜のきつい斜面で行われる林業では、産業革命後も機械化が進まず、多くを経験と技術を必要とする人力に頼ってきました。

本格的な機械化が始まって50年ほど経ちますが、その危険率は依然として高く、死亡事故の発生率が全産業平均の12倍近い数字。令和元年では33件も発生しています(林野庁HP)。

しかもそのうち8件は北海道での事例。僕のやりたい広葉樹林業は北海道に多く、将来移住を目指す身としては悩みどころです(笑)

現在も急ピッチで現場の安全性確保に向けた工夫が行われているようですが、思い通りにならない自然の中で、巨大な木を扱うという特性上、危険性はすぐには下がらないのかなとも思います。

夏は直射日光の下で下草刈り、冬は雪に埋もれる苗の世話とまさに命がけの作業。

売れば売るほど赤字なんて言われるし、こんな産業をなんで国が総力挙げて支援してるんだろうか?と思うかもしれませんね。

こんな現状を知っていても、林業を守らなきゃいけない気がする理由をご説明します。

日本の森は宝の山。でも、宝で崩壊しようとしている

日本の面積のうち、7割は森林です。すごいです。ニッポン。

こんなに森であふれている先進国なんてありません。しかもこの数字は過去50年変わっていません

そしてそこに立つ木のほとんどが収穫時期に来ており、まさに宝の山なのです。

これは戦後の日本人が後世のために森を拓いて作った人工林。贈り物ですよ。

でも、木材価格は下がり、安い輸入材が主流になり、日本の木は切られなくなりました。

人が作った人工林は人が手入れしないと成立できません。

いまの森では木の量が増えすぎ、森の中に日の光が入らず、土壌養分がどんどん減っています。

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植物の少ない森

画像の森は間伐して間もないのか、明るいけれど小さな植物が少ないですよね?手入れされない森はもっと暗く、土や根がむき出しになっています。


詳しい説明は省きますが、このような不健全な森では、ざっと思いつくだけでも

  • 土砂災害
  • 水不足
  • 洪水
  • 土砂崩れ
  • 生き物たちの死
  • クマがめちゃくちゃ街に出てくる(森に食べ物がない)

などなど、様々な災害が予想されるんです。特に最後。今年はニュースなどでも見た覚えがありませんか??

ドミノですよ、ドミノ。

先人たちが一生懸命僕たちのために作ってくれたドミノ(今回は倒すことが目的ではないがw)。

僕らが木を使わないことで、そのドミノの一つが倒れ、これまでギリギリ持ちこたえてたものがすべて崩れ去る、というイメージです。

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小さな木がたくさん生えている健全な森

日本人が海外の木材を使うということの意味

皆さん、いま自分の手の届く範囲にある木材製品に触れてみてください。

机でも、壁でも、置物でも。

それがどこから来たか知っていますか??

日本は世界有数の木材輸入国です。中国、アメリカ、ドイツに続き、世界4位(https://www.globalnote.jp/post-3288.html
世界の原材料輸入額 国別ランキング・推移 – Global Note

日本社会は世界中から木を切って消費しているといえます。

林業といえば、


木を切って

植える

育てて

また切る


というサイクルを数十年~100年の単位で繰り返す長期産業です。

この育成型林業と呼ばれるスタイルは世界では極々少数派。通常は切ったら放置してまた生えるのを待つ(100年以上かかる。つまり放置)、という略奪型林業が主流。


あなたが今触れた木材が海外から来たものなら、それは本来オランウータンのベッドになっているはずだったかもしれないんです。

動物好きで株を上げようとするイケイケさんたちに叩きつけてやりたい事実ですね(何があった)

今の林業ではなく、広葉樹林業を進める必要性。

木を育てて切る、という林業は、世界的にも珍しく、エコな仕組みではありますが、持続的とは言えない気がするんです。


もちろん、今後も手厚いお手入れができる森はいいですが、担い手不足、収益化の難しさが叫ばれる現代では、人の手を借りずとも(放置しても)成り立ってくれる森にしなきゃいけません。

でないと今の課題を未来に持ち越すだけです。


そのためには今のスギやヒノキをメインにした林業ではなく、ドングリやらサクラやらいろんな木がごちゃ混ぜになった森を作る必要があるんです。

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広葉樹もたくさん生えている、ごちゃ混ぜの森(針広混交林)

こういう森は自然と種が撒かれ、自然に芽吹き、自然と適切な密度になって成長してくれます。

しかも日本の林業技術があれば、通常100年以上かかるこのプロセスをある程度加速させることも可能です(たぶん)。


人の手がかからない森が増えれば、人件費が節約でき、山も健康。人も動物のウィンウィンな関係が作れます。



ただ、問題は山積みで、中でもそういう森にするまでの時間、森が収益化できないというのが課題なんですね。

だって広葉樹がでっかく育つには80年とか必要ですから。


でもね?

広葉樹がでっかく育つ前から、ある程度売れるようになれば、課題解決できると思いませんか?


小さい木だって、器やおもちゃ、家具など、小さな木材製品にすれば高く売ることができます。

そしてそういう製品はとにかく美しい。。。。


広葉樹の美しさに惚れて、エクステリアに使いたいという企業や消費者は確実に存在します。

そしてそれを加工する人も十分ではないにしろ、既にいます。


問題は


- そういう木を安定的に出せる森がないこと

  • 買いたい人と売りたい人のマッチングができていないこと

なんです(とある有名教授に聞いた話)。


小さな広葉樹を美しい製品として売るサイクルがもっと強くなれば、日本の森ってもう少し元気になるんじゃないかな。

人VS動物みたいな構図をなくせるんじゃなかろうか?


こんな理想を描きながら、来週からの講習に行ってきます。

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多様性って美しい。。。

人権問題に無頓着な自分がSave the Childrenの毎月寄付を始めた理由

お久しぶりです。

お久しぶり、というのはもう「こんにちは」みたいなもんですね。このブログではw


さて、わたくし事ですが、先週末に縁あってSave the Childrenという人権NPO団体の毎月寄付(SCサポート)を始めました。

www.savechildren.or.jp


毎月2000円なので、別に大した額ではありません。一日計算すると66円だそうです。

一日66円節約すれば、世界の子どもを幸せにできるらしいですが、66円だけ節約するなんてほうが難しいと思うレベルですね。


ただ、こんなことを言うと印象悪いかもしれませんが、僕は人権問題について特段関心があるわけではありません。

興味関心のレベルでは一般の方々と同じで、日常でそういった問題を見聞きしたときに心が痛む程度の人間です。

そんな僕がなぜSCサポートを始めることにしたのか、少しだけ話させてもらえたらと思います。

先に行ってしまえば、志半分、下心半分という内容なので、キラキラ良い子ちゃん系のお話が嫌いな人でも安心してご覧ください。

【下心】他人のためにお金を使える人が成功できる時代が来るから

いきなり下心からの説明です(笑)

皆さん、SDGsってご存じですか??

国際協力関連の人だけじゃなく、一般企業に勤めてる人でも聞いたことある人はたくさんいると思います。

少し話がそれますが、大事なので聞いてください。

SDGsはより良い世界を作るための世界共通目標、ではありません。
まぁ、完全に違うとは言えないけど、そういうレベルではないということなんです。

SDGsは人類が将来にわたって(それもここ数十年とか100年とか)この地球で生活するために、実現しなければならない計画です。

しかも、17ある目標のうちいくつかは、実現しないと人類滅びるよ?という警告レベルだと思っていいと思います。


さて、そんな人類の緊急事態を回避するためのSDGsを実現するために、ESGという指標を持って企業を評価する風潮が出てきました。

これが最近よく言われるESG投資です。

従来の「どれだけ儲けられるか」という指標が、「どれだけSDGsの実現に寄与しているか」という指標に代わり、そういう企業が発展していく社会になると、どこかの偉い人たちが決めたみたいです(ざっくりw)


さて、それが何で寄付と関係あるのよ?って話ですが、僕はあると思うんです。

企業を見る目が変われば、その下で働く人達の考えも変わってきます。

これまで自分の生活を便利にするために買い物をしていた人たちが、環境や貧しい人のために買い物をする時代に代わっていくと思います。

レジ袋が有料になったり、クラウドファンディングサイトがめちゃくちゃ盛り上がっていたりするのはこの流れの始まりなんじゃなかろうか?


こう考えると、他人のためにお金を使う行為に慣れていない人は、どんどん時代遅れになるでしょう。古い損得感情(←わざとです)のまま、ほかの人と意見が合わず、孤立したり思い通りにいかずストレスを感じるかもしれません。

寄付って、お金を払うのに何も手元に残らない(正確には税額控除になるが)、究極の他己消費です。

その行為に満足感を得られる人は人生の幸福度というか、なんかいろいろいいことがある気がしたのです。

【下心】お金を稼ぐことを肯定したかったから

日本人てお金にケチシビアなくせに、お金を稼ぐ行為に否定的ですよね。

アフィリエイターやネットビジネスが社会的に何となく怪しい印象を持たれてしまうのもこのせいなのかなと。

別に僕がアフィリをやるというわけじゃないですが、生きていくには稼がないといけません。

志だけでは飯が食えないことなど、100も承知。

これから協力隊が終わったら、仕事探しです。望まない仕事もやらないといけないかもしれません。

やりたいことができたとしても、お金を稼ぐことができなければ生きていけません。

お金を稼ぐって多くの場合は苦しいし(営業経験からw)、そんな時に自分が働く意味を肯定できたらいくらか楽になるんじゃないかな、と。

月々2000円の寄付がそんな大役を担うことができるのかは疑問だけれどもw

あと、家族のためにという考え方は少し別だと思っています。

僕の知っている成功者というか幸福度の高い人は、家族はもちろん、他人の幸せも考えている人ばかりです。

いや、家族持ったことないからそもそもわからんがww

【志】世界の問題の多くは無関心者の行動にかかっているから

なにか一つ問題があるとして、世界中のほとんどの人間はその問題解決のために行動なんて起こしません。

しかし、環境問題だろうが人権問題だろうが、圧倒的多数派である無関心の人たちの協力なくしては改善できないと思います。

関係人口を増やすことが問題の解決につながると思うし、寄付って何より簡単な参加の仕方じゃないですか。

自分は何もしなくても、毎月頑張っている人を応援できる。

応援する人が増えたら、その問題を考える人が増える。

こんな感じで世界はいいほうに向かっていくんじゃないかな??

毎月10,000円寄付してる人が、毎月100,000円寄付するようになるより、無関心だった人が2,000円払うようになることのほうが、非常に価値が高いと思う。

僕はいつかそういう協力を呼び掛ける側の人間になりそうな気がするので、自分も無関心派の一人として、何も知らないけど寄付をするという第一段階を踏み出すことにしたんです。

すべては後付け。自分が満足するならOK

あれ、下心2志1だぞ?大丈夫か??(笑)

まぁこんなことを考えながら書類にサインしたわけではなく、僕は寄付することに満足したから契約をしたんでしょう、きっと。

正直毎月寄付については、抵抗があった。損してるという感情がないわけじゃなかった。

けど、寄付しないという選択よりは寄付したほうが幸せだなと思ったから契約をしました。

まぁ寄付ってそれでいいんだよね。自由なものですよ。

JICA中部でオンライン環境教育イベントに初参加させていただいた話

めちゃめちゃご無沙汰のアンガーです。

もはや自分の名前をカタカナだったかひらがなで書いてたかすら忘れております。

3月に緊急帰国してから早6か月。協力隊らしいことはほとんどできないまま過ごしておりましたが、この度ようやく環境教育に関する活動ができました!!

報告に入る前に、このような機会を与えてくれたJICA中部の方々、そして、JICA中部オフィシャルサポーターである空木マイカさんに深く深く御礼申し上げます。

本当にありがとうございました!

オファーからイベント当日まで

今回のイベントは、まだパラオで活動中だった3月に現地で取材していただいた空木マイカさんが、JICA中部にて環境イベントをするとのことでお声がけいただいたものです。

パラオでの活動は7か月と短く、お話をいただいたときは「パラオに長年通っている旅行者なんかのほうが、よっぽどパラオに詳しいんじゃないだろうか?僕にできることなんかあるのか?」と及び腰でした(自己評価低い症候群発病ww)

でもせっかくいただいた機会だし、協力隊員として参加しないなんて選択肢はあり得ない、という思いで参加。

今回のイベントは二部制で、子供向けと大人向けそれぞれの参加者に楽しんでもらうにはどうすればいいのかってかなり悩みました。

正直なところ打合せ当日まで何をしたらいいのか具体的なイメージがわかず、「このままではふわふわして終わるな~~」という嫌な予感しかしてませんでしたね(笑)

しかし、JICA中部で打ち合わせをさせていただいた際に、マイカさんの思いやイベントの方向性がクリアになり、当日がぐっと楽しみになりました。

なによりね。マイカさんのエネルギーと話の進め方がすごいのよ(笑)
直前まで人気ラジオパーソナリティーとして活躍されていたプロなので、すごいなんて言うこと自体失礼かもしれないけど、この打ち合わせのおかげでものすごく安心したし、僕自身に自信も持てました。

やっぱりアツい人というのは周りまで元気にするんですね。

海洋ごみ、絶滅危惧種の保護、地球温暖化などをより身近に感じてもらう

少しだけ今回のイベントの内容をご紹介。

自分の作ったスライドだけ説明しますね(笑)

海洋ごみについて

パラオといえば美しい海。

この海にたくさんのゴミが流れつくという事実はなかなかショッキングなものです。

僕も赴任した当初、この海でもこんなにたくさんのゴミが流れつくのかと衝撃を受けました。

実際にパラオの海岸に流れ着いた漂着ゴミ
実際に流れ着いた漂着ゴミ

ここでパラオの子供たちがゴミを拾う姿から、ゴミを拾うっていいことなんだなという気持ちになってくれたらいいなと思って用意しました。

そして、ゴミにも種類があるし、身近なゴミが環境を汚すこともあることを紹介。

「ゴミはちゃんとゴミ箱に捨てよう。ペットボトルのゴミってこんなに多い。」という気持ちや発見になってくれたらいいな。

拾ったゴミを仕分けている様子
拾ったゴミを仕分けている様子

ナマコの保護・調査について

正直このコンテンツは子供の興味を引けたかどうかわからないww

でもナマコという生き物をまもる子供たちの様子を動画にまとめて紹介したので、ビデオを楽しんでもらえてたらうれしい(笑)

ナマコの調査の様子をまとめたビデオ
ナマコの調査の様子をまとめたビデオ

絶滅危惧種が減っている原因を考えてみる。

ここではマリアナツカツクリ(パラオツカツクリ)とウミガメの事例を紹介。

ウミガメの保護ではたくさんデータがあったので、保護の様子や子ガメが生まれてくるところを見てもらうことができました。

ウミガメ調査の様子

そしてここで子供たちに質問!!

ウミガメの卵が減ってしまうのはなんでだろう??というちょっとトリッキーな質問をしてみました。

事前に用意したワークシートに答えを書いてもらい、手を挙げて発表してもらいます。

ここで待ってましたとばかりに手を挙げ、答えてくれる子供たちww

オンラインイベントって参加者との距離遠いんだろうな~って思ってたけど、子供たちはお家でリラックスしながら答えてくれるので、むしろ元気な気がしました(笑)

驚いたのは子どもたちの想像力。

  • 親ガメが減っちゃったから
  • 鳥やカニが食べちゃうから
  • 人が食べちゃうから
  • ゴミが増えて卵を産めなくなったから
  • 温暖化で海の水が増え、卵が流されちゃうから

もうこれはね。逆に焦ったww

これらの答えはもちろん正解で、卵が減る理由なんてたくさんあるので明確な答えはありません。

ただ、僕らが活動の中で卵をまもる理由として「人間による盗掘を防ぐため」という答えを用意してたんですが、見事に当てられましたね(笑)

しかも、温暖化の影響という答えは、最後のスライドで紹介したかった可能性の話。

こんなことまで想像できるのか!?っと衝撃を受けてしまいました(笑)

地球温暖化とウミガメ

最後のスライドでは、この後に続く地球温暖化のテーマにつながるよう、ウミガメの卵が温暖化の影響を受ける可能性を紹介しました。

温暖化による海水面上昇で卵が腐ってしまう可能性も
温暖化による海水面上昇で卵が腐ってしまう可能性も

ウミガメは、海に近いけど海水に触れることない砂地に卵を産みます。これは卵が海水に触れることで窒息し、死んでしまうのを防ぐため。

しかし、温暖化で水位が上昇すると、これまで水が来なかったところまで波が到達してしまい、卵が全滅する可能性もあるんです。

実際に現地で活動していると、海水をかぶってほぼ全滅したウミガメの卵を見つけることがよくありました。

いやぁ、まさかこれを説明する前にあてられるとは!

おそるべし、子供の想像力!!

資料作成における僕なりの工夫。「参加者の立場で楽しめるかどうか」

さて、これからは僕がスライド作成時に気を付けていた点をメモしておきます。次回に向けた備忘録。

今回のイベントはオンラインなので、当日に使う資料はパワポスライドのみ。

僕自身、どんなに興味のあることでも座学になると集中できないというクセがあるので、絶対に退屈させちゃだめだよな~という思いがありました。

大人も子供も「考える時間」が必要

よくあるつまらないプレゼンというのは、独りよがりで視聴者を置いてけぼりにするプレゼンです。

どんなに内容が面白くても、話し方や資料の作り方では視聴者がついていく気をなくします。

だから、大人にも子どもにも考えてもらう時間を用意したかった。

これはマイカさんの提案でコンテンツ化したミッションにも共通しており、子供向けとして事前に配布したワークシートに答えを書いてもらって発表してもらうという形をとりました。

そのほかにもクイズなんかを用意して、子供たちには考えるための時間をしっかりと用意しました。

プラスチックごみのペットボトルとビニール袋
実際に使用したクイズ。正解を答えるというより想像することが大事。

一方で、大人に対してはあまり明確な時間は取らず、話の中で質問して考えてもらおうとしました。

ただ、今回の反省点としては、この大人向けイベント時の問いかけがうまくできず、若干話し倒すだけになってしまったかなと思います。。

資料には多くを描かず、シンプルさと整列を意識。

人はスライドを表示されると、その内容を理解しようとしてしっかりと読もうとします。

でも、読んで理解している途中で、発表者が話出したり、どこを話してるのかわからないと、読むことも聞くこともやめてしまいます。

だから、できるだけ文字を減らして、見やすいように写真やコンテンツの配置をそろえました。

これは最近読んだ「ノンデザイナーズデザインブック」に書いてあった整列と繰り返しの原則(すぐ使うやつww)

読む人がスライドに書かれていることを一瞬で把握し、発表者の話を聞き取る余裕ができるように意識しました。

楽しかったオンラインイベント。これからもこういう機会を増やしたい!

とても緊張しましたが、本当に楽しかった今回のイベント。

非常にいい経験になりました。

反省点としては、

  • もっと問いかけを意識した発表にしたかった。
  • 説明中、語尾に向かって声が小さくなっていく。はっきりしゃべる。

主な点はこの二つ。

でも、今回の発表で自身もついたし、これからもこういう活動をやりたいなって思うことができました。

今後、まだ提案ベースなものも含めると2回ほど環境教育の機会があります。

まだまだ続きそうな待機期間。

地元の環境教育施設でのボランティアを真剣に考えだしました。まぁ、少しだけ予定とかの懸念はあるのだけど。。。

ほかにも僕に協力できることがありましたら、お声がけお待ちしています!!


あらためて、JICA中部の皆様、空木マイカさん、本当にありがとうございました。

これからもよろしくお願いいたします。

最後はみんなで記念撮影!!楽しかった!!

酔って書く、コロナ禍の過ごし方

2020年5月12日0時40分。

いまお酒飲みながら久しぶりにPCを開きました。

理由はわかりませんが、せっかく立ち上げたブログをこのまま終わりにしたくないし、何となくさみしい気持ちになったからです。

だと思います(笑)

あと、自由に自分の思うこと書けるのって、やっぱりブログだなあと思うから。

SNSってどうしてもフォロワーさんとかタイムラインにいる人のことを考えてしまうんよね。



さてさて、帰国してから1か月と3週間。約2か月くらい経ちました。

帰国当初はスマホゲームにアマゾンプライムと廃人のような生活をしておりましたが、ちょっと最近のことをメモっておきましょう。

(文章の見直しをしておりません。出来立て生絞り乱筆のままアップしております。この記事から得るものは、ありません(笑))

将来のため、webスキルの勉強を始めた。

とにかく僕らは先の見えないニート期間にいます。

有り余るほどの時間を持て余すのは、あまりにもったいない。

正直なにもやる気は起きませんでしたが、この期間にしかできないことをやるべきだという意識はありました。

というわけで、webスキルの勉強を始めています。

具体的にはWordPress(ホームページ作成ツール)とWebデザインです。

習得するのに長い時間を要するうえ、今後の人生に役に立ちそうなスキル。

でも、生まれつきコツコツ地道にという努力が苦手な性格。

誰かのサポートがなきゃ無理だ、というわけで、テックアカデミーというオンラインスクールに入りました。

二か月で20数万の(僕にすれば)高級スクール。

この授業料を絶対に回収するんや!という邪(よこしま)なモチベーションも生まれ、なんとか頑張っております。

協力隊を志す前には普通の会社員を4年間やっていた僕ですが、社会人になった当初から、自由に生きたい、場所にとらわれず、世界中を旅しながら生活したいという理想を持ち、ノマドを目指していたことがあります。

いまはその古い夢がまた復活してきて、ワクワクしながら勉強できてるなぁという実感。

ただ進みが遅い。。。。

気になったところは納得するまで繰り返してしまう性質なので、全然学習が進みません(笑)

お産を終えた妹が実家に。甥っ子との子育て生活

帰国後、二週間の自宅待機が終わったころ。

妹がお産を終え、新生児とともに実家に戻ってきました。

妹も僕も実家に帰省し、期せずして、一家4人の生活に。

こんなこと、もう一生ないんだろうなって思いながら甥っ子をあやす日々です。

首の座らない新生児なんて、絶対に抱っこできないと思っていたけど、泣きそうになる甥っ子を何とかなだめるみたいなことが楽しくていつも抱っこしてます(笑)

楽しみはひたすらオンライン飲み会。

本当はみんなでお酒を飲みたいですが、いま飲みに出るわけにもいかないので流行りのオンライン飲み会をしています。

北海道時代の友達やパラオ隊員、駒ケ根の生活班などなど、過去のつながりがまだ続いてるっていうのはうれしいですね。

ただ、家で飲んでると終電とか気にしなくていいので、ついつい深酒してしまうのが悩み。

二日酔い、響くようになりました~(笑)

いやいや、歳ではないよ、飲み方が下手になっただけw

筋トレ環境は改善。緩く続いてる

パラオ で始めたトレーニング。

現地では充分な設備やモノを利用できなかったため、自重トレーニングがメインでしたが、

帰国してからは20キロダンベル を2個買ったり、懸垂やらディップスやらも自由にできるようになりました。

なにより栄養状態が良くなり、プロテインも飲めるようになった為、体が大きくなったって感じます。

自粛生活の楽しみってこれしかないんちゃうか?て思うくらい。

けど、良く食べる分脂肪もついてしまったので、ここから脂質カットのダイエットを始めて行こうと思う。

協力隊に戻るのか、今後どうするのか。

最近は感染者の数も落ち着き始め、第二波の心配はあるものの、少し希望が持てる状況かなと思います。

協力隊活動については、まだ再開のめどは立たず、当初4月末と言われていた派遣検討も7月に延期となりました。

7月にも再派遣できなければ、派遣中止と言われています(その後、待機期間は延長され、2020年9月現在も待機中)。


仮に7月にまたパラオに戻れるとして、本当に元の活動に戻るのか、たまに疑問に思うことがあるというのが本音。

もちろん、今も隊員として所属しているし、戻れと言われたら戻るつもりです。


でも、初めてパラオに行ったときほどの希望を持って仕事をできるのかなと思うと不安というのが正直な心境。

そこで働く難しさや悩みを知ってしまっているから。


タイミング的にすごくネガティブなところで帰ってきてしまったので、気持ちを持っていくのが大変だなぁ。。。

でもパラオの透き通った空、青い海がそろそろ恋しくなってきた今日この頃。

あまり先のことは考えず、今のことに集中しようかなと何とか思うようにする今日この頃であります。

【協力隊一時帰国】パラオから3週間前に帰ってきたよ

皆様、お元気ですか?僕は元気です。

お久しぶりです。

新型コロナの影響で協力隊員が全世界から緊急一時帰国となり、僕も3月24日に日本に帰ってきました。

気づけばもう3週間以上がたっているんですね。

パラオは現在もコロナの発症例は確認されておらず、名実ともにPristine Paradise Palau(清らかな楽園) となりました。

帰国してからというもの、突然始まったニート生活に堕落し、堕ちるとこまで堕ちた感があるので、少しブログでも書きながら目を覚まそうと思います。

パラオから帰国になるとはだれも思ってなかった

僕たちパラオ隊員が一時帰国を知ったのは3月中旬。

その2,3日前に協力隊事業について、何やら重大な決定がされるらしいというウワサは聞いており覚悟はしていましたが、正直、本当に帰国になるとは全く思っていなかったです。

あれは確か火曜日か水曜日だったと思いますが、その前の土日まで「パラオが帰国になることはないっしょ(笑)」という会話を本当にしていました。

そのころパプアニューギニアや南米、アフリカなどの帰国が相次いでいましたが、僕らはその理由をコロナ感染のリスクというより、コロナによる差別や偏見によって隊員に危険が及ぶことを避けるためだと考えていました。

そのような偏見や差別がほとんどない、または、多少あっても暴力的な行為には至らないパラオという楽園ではそのような措置は必要ないと思っていたからです。

ピースコー(アメリカのボランティア)やコイカ(韓国)の全世界撤退のニュースを聞いても、「まさかね」という印象でした(パラオにはピースコーもコイカいないので…)

しかし、月曜日から状況が一変、世界中の協力隊員から続々と帰国の知らせが届き、本当に3日くらいでパラオも帰国となりました。

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帰国直前、観光客が消え、活気のなくなったコロール

幸い帰国までは数日の猶予があったので、荷造りなどはしっかりできましたが(同じ大洋州隊員の中には、帰国の連絡を受けたその日の夜にフライトなんていう鬼畜のようなスケジュールの隊員も…)、通常の協力隊生活からわずか数日で帰国というのは、なんとも奇妙な気持ちでした。

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帰国前、最後の仕事となった防火植林

経由地のグアムで感じた危機感

自分たちが帰国になっても、まだコロナで世界が大変なことになっているという実感は湧きませんでした。

パラオでも疑わしい事例はあってもすべて陰性。その時は日本からの観光客もまだパラオに入国していましたからね。

ただ、パラオからのトランジットでグアム空港に着いたとき、その異様な光景に事態の深刻さを痛感しました。

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人の消えたグアム国際空港

免税店はすべて閉鎖。フードコートだけがほそぼそと営業しているのみで、従業員がいません。

その日出発する飛行機はわずか2本。ホノルル行きと日本行きのみ。

そんな閑散とした空港で8時間近いトランジットタイムを過ごしていると、バイオハザードかウォーキングデッドの世界に迷い込んだ気がしました。

帰国→自己隔離。ニート生活での葛藤と慣れ

中部国際空港に着くと父親が迎えに来てくれていました。

公共交通機関に乗るリスクを避け、そのまま自宅に直行。ここから2週間の自己隔離です。

ただ、何もせず家にいるというのはかなりつらい。。。

隊員ロスになり、しばらくはほかの隊員とのやり取りやインスタを見ながら、1週間前の思い出を懐かしむという謎の期間に突入ww

ニートにも才能がいるやん…って感じ。

ただ、アマゾンプライムを契約し、スマホゲームをインストールしなおし、犬と遊びながら過ごしていると、何となくその生活に満足してきて、着実にニートの階段を上っていることを実感(笑)

このままじゃヤバイ、と焦りながらもスマホも映画もやめられない日々を過ごしてました(笑)

ただ、筋トレと運動をちょこちょこ続けてきた自分は褒めてあげたいww

今後について。協力隊として、このコロナ渦を生き抜こう。

突然、協力隊生活が終わり、現在の状況やJICAからの連絡を見る限り、当初5月末と言われていた再赴任は叶いそうにありません。

今も身分は協力隊なので、メールなどでリモートでもできる活動をしていくつもりではいましたが、配属先の活動が現場メインになっているらしく、資料作成なども今のところなくなりました。

自分としては、再派遣に向けて体を健康に保ち、この有り余る時間を自己学習に充てようと思います。

協力隊の規定が変更され、この期間にアルバイト等の就労も許可されましたが、いま探しても仕事はないし、わざわざ感染のリスクを上げる必要もありません(実家はめっちゃ田舎なので、都市に行きたくない)。

任期短縮して本業につく人もいるみたいですが、自分は戻るところもなく、この状況で優位な仕事には就けないでしょう。

この堕落した生活から抜け出すには、自己学習しかない。家でできて、将来役立ち、再赴任時の活動にも役立ちそうなこと。。。。

というわけでわたくし、細々とプログラミングをやろうと思います。

このブログも一度はやめちゃおうかと思ってましたが、勉強の軌跡みたいに活用出来たらいいなぁ。

ネット環境はパラオよりも断然いいので、活用しないとね(笑)