あんがーの樹

環境系大学院修了⇨法人営業⇨青年海外協力隊。平成元年生のアラサーが綴る。

1番幸せな時を考えたらずっと幸せだってことに気づいた話

先週末はコロールでほかの隊員とのんびり4連休を過ごし、4日連続でジムに通い、心と体が元気になってちょっぴり財布が寂しくなりました笑

連休中はほぼ毎晩誰かと飲んでいたわけで、胃も荒れ荒れw

でも幸せだったなぁ。。。

連休最後の夜は「とりとり」という日本料理のお店で男3人、カウンターに並んでちょびちょび飲んだ。

とりとりの料理は本当に美味しくて、味も日本に限りなく近く、カウンターで料理してくれるスタッフもフツーに日本語が通じる。

日本の会社の系列だけあって、それほど高いわけでもないのに満足感が高い。

出てくる料理に感動しながらお酒を飲んでいた時、ひとりの隊員がこんな事を聞いてきた。

「どんな時に『幸せだなぁ』、って感じます?」

俺より5つくらい若いくせに、急に加山雄三みたいなことを言うもんだから加山雄三がが1番に出てくるあたり、変わってるのかなと思うけどw)、ちょっと言葉に詰まってしまった。

最近のことから数ヶ月、数年前のことまで遡って、「いつだ??どんな時が幸せだ??」ってめっちゃ考えた。

でも、飛び抜けて「コレが幸せだった!」みたいなシーンが思い浮かばない。

旅行に行った時とか、北海道にいる時とか、学生の時とか、浪人中に猛勉強したこととか、彼女ができた時とか、色んなことが雑多にごちゃごちゃ出てきた。

だから、彼の「どんな時に幸せだと感じるか?」という質問に対する答えは、一瞬、「特にない」というめちゃくちゃ面白くないものになりそうだった。

でも、ちょっと待って?

幸せなシーンといって開いた自分の引き出しにはいろんな時代の記憶が詰まってて、特に規則性はなくて、選べないほど数が多い。

これって、「今までずっと幸せだった」って事じゃないだろうか。

しんどかった時のことも思い出してみるんだけど、その引き出しにはあんまり多くの記憶は入ってなかった。

あるにはあるんだけど、その後についてくる幸せな記憶のオマケみたいにくっついてる事が多くて、結局今は笑い話になってる。

例えば、高校時代。

自分の高校時代は正直言って人に誇れるような記憶じゃない。

唯一、部活は楽しかったけど、高1でデビューに失敗したり、初めて人からはっきり嫌われたり、友人と遊んだ記憶は高校3年の文化祭打ち上げただ一回だし、イジメとかイジリとか見てるだけで辛かったし、いわゆる陰キャラとして過ごした高校は嫌いだった。

でもだからこそ理想の大学を探したし、大学受験も頑張れて、浪人して大学に受かって、自分の選んだ場所に行けた幸せにつながっていて、あって良かったなと思う記憶になってる。

二十五で就職した営業は泣くほど辛かったけど、北海道転勤になって、友達もできて、当時の彼女もできて、めちゃめちゃ楽しい3年を過ごして、協力隊に行くと決めた時も、上司は応援してくれた。

営業は嫌いだったけど、その経験はちょっとだけ自信にもなっている。

協力隊においても、環境教育にはたくさんのタイプの仕事があるのに、自分は野生動物の保護とか、環境保全とかに関われる配属になれた。

これって小学生の時に描いてた夢と一緒じゃないか!!

色んな経験と、人と、ラッキーと、自分の意思が重なっていま美味しいお酒まで飲めてるなんて!(もはや晩年のセリフw)

最初に質問されてからおおよそ10秒。

すでに別の話題に移りかけてた2人を引き止めて、「やっぱ俺ずっと幸せだわぁ」と呟く30歳でした笑