あんがーの樹

環境系大学院修了⇨法人営業⇨青年海外協力隊。平成元年生のアラサーが綴る。

英語ができる人って○○が得意な人だって気づいた

こんばんみ。アンガーです。

今日はチームビルディングの授業で朝から一日野外に出て、体を動かしながらグループが仲良しに、仲良しグループがさらにチームになっていく過程を体感しました。

その授業もこれまためちゃくちゃ学びの多いものだったんですが、ものすごく体力を消耗する内容であり、寝る前30分の短い時間では書ききれないのでまた今度にします。。。。

疲れ切ってはいたものの、明日の課題である英語のスピーチやらプレゼンテーションやらの準備を17時くらいから始め、気づいたら22時半。

寝ぼけ眼の脳裏に、ふと、悟りのようなものが浮かんだのでブログに書き留めておきます(寝たい)。

僕らが英語を喋れないのは、「日本語がうますぎるから」だ!!

どうでしょう?意味わかってくれますかね??

われわれ日本人は物心ついた時から数十年、日本語という非常に表現豊か、かつ、あいまいさを良しとする特殊な言語をシャワーのように浴びて育ってきました。

当然ながら英語と比較すれば、そのボキャブラリーの数は雲泥、いや、地球と木星くらいの差があります(わかりにくい?)。まぁ、いくら十数年勉強してきたからって、数百時間程度の英語学習ではそのボキャブラリーの差を埋めることは不可能なわけ。

それなのに僕たち日本人は頭で思いついた日本語をそのまま英語にしようとする。でも、その日本語を意味する英単語は持っていない。だから、英語ができないってことになる。。。

マレー語がそこそこしゃべれる理由は単語を知らないからだ

初耳だったらすみません。が、僕はマレー語を話せます。少し。
片言だし、正しい話し方ではないけど、日常生活できる程度だし、普通の生活で僕以上にマレー語話せるっていう人はほとんど見ないので「話せる」ということにします(笑)

マレー語を学んだのは大学院生の時、研究でマレーシアにいき、現地のワーカーと話すのにマレー語が必要でした。特に授業を受けたわけではなく、英語-マレー語の辞書をもって、ワーカーとしゃべりながら覚えました(ワーカーはほとんど英語しゃべれません。。)

というわけで、僕のマレー語ボキャブラリーは日本語の比にならず、英語と比べても断然少ないわけです。なのになぜ、僕はマレー語を話せると感じるのか?

それは、簡単な単語に言い換える能力がついたからだと思います。もちろん、話せる人が周りにいないというのも一つですが。。

例えば、飛行機。
マレー語ではPesawat(プサワッ)ですが、その単語を知らないときは「Kapal terbang(カプール トゥルバン)」=空飛ぶ船と言ってました。

めちゃくちゃ少ないボキャブラリーだからこそ、シンプルな単語や言い方に変えて伝えるということをしてたんです。

英語では、なまじボキャブラリーがあったり、勉強しているから話せなきゃいけないみたいな思い込みがあって、日本語をシンプルにするという習慣がついていないんだなぁと感じました。

無意識に少しはしてたかもしれないけど、意識化というか、痛感できたのは今日だと思う。

結論、英語ができる人は日本語の言い換えが得意なのだ!!

ここまで引っ張ってしまいましたが、つまり、思いついた日本語をさらにシンプルに言い換えて英語にする、という練習が必要なんだと感じました。

僕はいま、わからない単語は必ず英英辞典で意味を確認することを習慣にしています。
わからない単語をずーっとたどっていくと、結構シンプルな表現で単語の説明がされていることも多いです。

この発想があれば自分でも説明できたのに!!というシーンに何度も遭遇します。

そのことにあまり気づいていなかったのは、英和辞書という便利ツールのせいかもしれないとさえ思います。今も使うけど。。

英和辞書で調べると、単語の意味を1対1で覚えてしまうからね。一つの日本語に対して、ほかの英語表現を思いつかなくなるんです。

もちろん、リスニングやスピーキングでは瞬発的な英語力が必要なので、日本語のシンプル化だけでは不十分だと思います。ボキャブラリーも増やさなきゃいけません。

でも、英語に対する強迫観念というか、恐ろしさからはいくらか解放された気がしました。。。

これからはシンプルな日本語表現や言い換えというのを意識して生活しよう。それが英語力にもつながるんだ、と、信じて生活していこうと思います。


いかーーーーん!!1時間たってるーーー!
こんな時間はやばーーーい!ねねんばーーーーーーーーー!!